競馬を見ていると、同じ父の産駒でも短距離で輝く馬と、長く走ってこそ良い馬に分かれます。血統表のカタカナを何度なぞっても、その理由はなかなか見えてきません。じつは距離適性の手がかりは、血統表ではなく「遺伝子の1か所」と「馬の歩き方(バイオメカニクス)」という、まったく別のレイヤーに書かれていることが、近年の研究で分かってきました。
この記事は、種牡馬を科学で読み解く「種牡馬の科学カルテ」シリーズの導入編です。今回は数ある軸のうち、①遺伝学(MSTN/スピード遺伝子)と②バイオメカニクス(歩法)の2つに絞り、外部の公開研究を、できるだけ正確に・できるだけやさしく整理します。数字には出典を添え、分かっていないことは「分かっていない」と書く——それが、占いと研究を分ける一線だと考えています。
第1軸:遺伝学 ― 距離適性を左右する「最強の単一遺伝子」
サラブレッドの距離適性に関わる遺伝子は複数報告されていますが、その中で「最も強力な、単一の遺伝因子」として繰り返し確認されているのが、通称「スピード遺伝子」=ミオスタチン(MSTN)遺伝子です。Hill らの一連の研究(2010・2012)が出発点になっています。
ミオスタチンは「筋肉のブレーキ」
ミオスタチン(myostatin)は、筋肉が増えすぎないように抑えるはたらきを持つタンパク質です。名前も myo(筋肉)+ statin(抑制) から来ており、いわば「筋肉のブレーキ」。このブレーキの効き方を決めるのが MSTN 遺伝子で、父から1本・母から1本受け継ぐため、組み合わせで 「C/C」「C/T」「T/T」の3つの型に分かれます(仕組みは ABO 血液型と同じです)。
3つの型と「平均最適距離」
Hill らの研究では、型ごとに"最も成績が良かった距離(平均最適距離)"に明確な差が出ました。図と表にまとめます。

| 型 | 体質の傾向 | 平均最適距離 |
|---|---|---|
| C/C | 速筋・筋肥大型の傾向 | 約1,250m(約6.2ハロン) |
| C/T | 中間型 | 約1,830m(約9.1ハロン) |
| T/T | 有酸素・持久型の傾向 | 約2,110m(約10.5ハロン) |
なお T/T 型については、戸崎晃明氏が「T/T 型が勝った競走の9割超が 1,600m を超える距離だった」と紹介しています。ここで主語が"勝ち鞍の距離分布"である点が大事で、「T/T だから長距離で必ず走る」という話ではありません。
"型のちがい"は、筋肉のなかで何が起きているのか
「型で距離が変わる」と言われても、体の中で何が違うのかが見えないと腑に落ちません。ここを実際に調べたのが、戸崎晃明氏ら(競走馬理化学研究所・山口大)の研究(Miyata・Tozaki et al. 2018)です。トレーニング期間中の若い牡サラブレッドの筋肉を調べたところ、型によって筋線維の"育ち方"が違うことが示されました。
- C/C 型は、トレーニング後に速筋線維(Type IIx)の断面積が増加(およそ 3,832 → 4,647 μm²)。瞬発的なパワーを出す筋肉が、より発達する方向に動きます。
- T/T 型は、ミトコンドリア(SDHa)や血管新生(VEGFa)に関わる遺伝子の発現が C/C 型より高い。酸素を使ってエネルギーを作り続ける、持久型の適応です。
- トレ後の筋線維の割合も差が出ました。速筋(Type IIx)は C/C=45.1% / T/T=35.6%、遅筋(Type I)は C/C=9.4% / T/T=15.7%。C/C はよりパワー寄り、T/T はより持久寄りです。
同じトレーニングをしても、型によって体が向かう方向が違う。これが「C/C は短距離寄り、T/T は長距離寄り」という統計的傾向の、分子・細胞レベルの裏づけになっています。血統表の1文字が、筋肉の中身までつながっているわけです。
象徴的な実例:Galileo Gold の"ダービー回避"
この遺伝子情報が現場の判断に使われた有名な例があります。2016年の英2000ギニー(1,600m)を制した Galileo Gold。陣営はスピード遺伝子検査で同馬がC/C 型であると把握しており、これを一つの判断材料として英ダービー(約2,400m)への出走を回避しました。「血統や勝ち方だけでなく、遺伝子型まで見て距離を選ぶ」時代に入った象徴的なエピソードです。
「遺伝率」のややこしさを整理する
ここで一見矛盾するように聞こえる、でも大事な事実を押さえておきましょう。遺伝率(その形質のばらつきのうち、遺伝で説明できる割合)は、何を測るかで大きく変わります。
- 競走能力そのもの(賞金・能力指数ベース)の遺伝率 ≒ 20〜40% … 思ったほど高くありません。つまり「強さ」は遺伝だけでは半分も説明できず、環境や運の影響が大きい(Velie et al. 2014 ほか)。
- 距離適性の遺伝率 ≒ 0.6(=約60%)と高い … 一方で「どの距離が得意か」は、かなり遺伝で説明できます(Annu Rev Anim Biosci 2022 ほか)。
この対比が、血統を読むうえでの肝です。「強いかどうか」は血統表からは当てにくいが、「どの距離に向くか(適性の方向)」は血で読み取りやすい。MSTN が距離適性に効くのは、まさにこの後者を支える有力な分子的根拠の一つ、というわけです。
第2軸:バイオメカニクス ― 速さは「歩き方」に表れる
遺伝子が"設計図"なら、バイオメカニクスは"完成した走り"を測る視点です。JRA 競走馬総合研究所の高橋敏之氏らの研究(JRA研究発表会 第59・60回ほか)を中心に、馬の走りを物理として分解してみましょう。距離適性は、じつは"走るフォーム"にも刻まれています。
速さ = ストライド長 × ピッチ
馬の走行速度は、突き詰めるとたった2つの掛け算で決まります。
同じ時計でゴールしても、中身(ストライドとピッチの配分)はまったく違うことがあります。これは人間のランナーでも、大股のストライド走法とテンポの速いピッチ走法に分かれるのと同じです。どちらが速いかは個体差が大きく、馬の"走りの個性"はこの2つの比率に表れます。床反力(地面からの反発力)の測定も、こうした走りの個体差を捉えようとする研究の一つです。
芝はストライド型、ダートはピッチ型
多数の実走データの解析から、走る馬場(コース)によって有利な走り方が違うことが示されています。
- 芝 = ストライド型が活きやすい … 路面の反発を受けて、大きな歩幅をのびのびと使える
- ダート = ピッチ型が活きやすい … 砂で脚が沈み、歩幅が伸ばしにくいぶん、回転(ピッチ)を上げて補う
「芝で走った馬がダートに替わって一変した(あるいはその逆)」という現象の背景には、その馬の歩き方と路面の相性がある、というわけです。血統の"芝向き・ダート向き"という曖昧な言い回しが、歩法という物理で少し具体的に見えてきます。
疲労は「フォームの崩れ」として表れる
距離適性の話とも直結するのが、疲労時のフォーム変化です。研究では、レース終盤に疲労が進むと、ストライド(歩幅)が短くなり、ピッチ(回転)が上がるという一貫した傾向が確認されています。
つまり「最後の直線で歩幅が詰まって伸びを欠く」のは、気持ちの問題というより、身体が疲労に対して見せる物理的なサインなのです。距離が長くなるほどこの崩れが出やすく、「長く良いフォームを維持できる馬=距離が持つ馬」という見方ができます。バイオメカは、距離適性を"スタミナ"という曖昧な言葉でなく、フォーム維持という観察可能な形で捉え直させてくれます。
ちなみに、こうした持久的な土台を鍛えるうえで、坂路は心肺機能に効率よく負荷をかける調教法として知られています(JRA日高育成牧場ブログ)。生まれ持った"設計図"の上に、調教という後天的な積み上げが乗っていく——そのイメージを持っておくと、育成のニュースも一段おもしろく読めます。
2軸をつなぐ ― 「設計図」と「走り」は同じ方向を指す
遺伝学(MSTN)とバイオメカニクス(歩法)は、別々の研究分野ですが、距離適性という同じ的に、別の角度から矢を射ています。整理するとこうなります。
| 視点 | 何を見るか | 短距離寄りの傾向 | 長距離寄りの傾向 |
|---|---|---|---|
| 遺伝学(MSTN) | 生まれつきの設計図 | C/C(速筋・筋肥大型) | T/T(有酸素・持久型) |
| バイオメカ(歩法) | 実際の走るフォーム | パワーで押す走り | フォームを長く保てる走り |
2つの軸が同じ方向(短距離寄り・長距離寄り)を指すとき、その馬の適性は読み手にとって"納得感"が増します。逆に、設計図(血統・遺伝)はスタミナ型なのに走りはパワー型——というズレが、馬の面白さであり、AI でも人でも読み切れない"余白"でもあります。種牡馬カルテシリーズでは、この複数の軸を1頭ごとに重ね合わせて、過剰な決めつけをせずに傾向を整理していきます。
この知識は、血統好き・一口馬主にどう活きるか
- 「父は短距離型だけど母系はスタミナ系」という配合の"綱引き"を、遺伝率という数字の裏づけで腑に落とせる
- 産駒の距離傾向や芝ダ適性が"血統の見た目"と割れる理由を、歩法という物理で理解できる
- 「スピード遺伝子=万能の答え」式の売り文句に惑わされなくなる(遺伝率の数字を知っていれば、なおさら)
「で、自分の気になる馬は何型なの? どうやって調べるの?」という次の疑問には、スピード遺伝子の実用編で踏み込んでいます。血統表そのものの読み方は入門記事で整理しています。あわせて読むと、血統が一段立体的に見えてきます。
- スピード遺伝子(ミオスタチン/MSTN)とは? ― 距離適性は血の中に書かれているのか
- スピード遺伝子の調べ方と有名馬は何型?(実用編) ― ミオスタチン検査の実際
- 競馬・血統の読み方入門 ― 母父・ニックス・インブリードを最短で理解する
まとめ
- MSTN(スピード遺伝子)は距離適性の「最も強力な単一遺伝因子」。C/C(約1,250m)/ C/T(約1,830m)/ T/T(約2,110m)という平均最適距離の傾向がある
- 型のちがいは筋肉にも表れる。C/C はトレ後に速筋線維(Type IIx)が発達し、T/T はミトコンドリア・血管新生の遺伝子発現が高い持久型(戸崎氏ら 2018)
- 競走能力の遺伝率は約20〜40%と高くないが、距離適性の遺伝率は約0.6と高い。だから「どの距離が得意か」は血で読み取りやすい
- 速さ=ストライド × ピッチ。芝はストライド型、ダートはピッチ型が活き、疲労はフォームの崩れ(歩幅短縮・ピッチ上昇)として表れる
- 2つの軸は別角度から距離適性を照らすが、いずれも"傾向"であって"運命の宣告"ではない
遺伝子も歩法も、未来を断言する装置ではなく、馬を理解する解像度を上げてくれる客観的な手がかりです。だからこそ血統は奥が深く、面白い。次回以降の種牡馬カルテでは、こうした科学の軸を1頭ずつに当てて、過剰解釈を戒めながら傾向を読み解いていきます。
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